みどころ

第3章 明・清時代のモンゴル

1368年、元朝の順帝トゴン・テムル・ハーンは、明の皇帝に即位した朱元璋(しゅげんしょう)に追われて首都・大都を脱出、これ以降、元朝の旧領土では、モンゴルと明が対峙する時代が約270年続きます。その間、モンゴルのハーンの権力は衰え、チンギス・ハーンの血を引かない有力者たちが争いあう混乱の時代を迎えます。こうした状況に終止符を打ったのが、チンギス・ハーンの末裔とされるダヤン・ハーンです。ダヤンとは、「大元」を意味し、モンゴル高原東部を勢力下に入れるなど、遊牧民を再編成しました。彼の孫、アルタン・ハーンは明との講和や貿易関係を確立したほか、チベット仏教をモンゴルに導入するなどモンゴルの歴史に大きな影響を与えました。

アルタン・ハーンの死去後、マンジュ国を率いるヌルハチとその子ホンタイジが勢力を拡大し、内モンゴル(現在のゴビ砂漠の南部)を支配下に入れ、1636年、国号を大清国と定めました。やがて外モンゴル(現在のゴビ砂漠の北部)も清に服属し、モンゴル族の大部分が清の支配下に入ることとなります。

1911年、清朝が崩壊すると、外モンゴルは独立を宣言。内モンゴルと称された地域は、1947年に内モンゴル自治区を形成して中国に属しています。

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