みどころ

第2章 一代の天驕 ~モンゴル帝国の勃興

遊牧民族の勃興と衰退を交互に繰り返してきたモンゴル高原では、12世紀に入ってモンゴル部が当時大国であった金王朝に貢物を入れるなど勢力を強めていきます。12世紀末、モンゴル部のキヤト氏に属したテムジンは、モンゴル高原の遊牧諸部族を統合し、1206年、「大モンゴル国」を建て、チンギス・ハーン(1162?~1227)と名乗りました。これが「モンゴル帝国」です。その後、チンギス・ハーンは各地に軍を出し、征服活動を開始、その子孫もその事業を受け継いだ結果、その領土はモンゴル高原の西方の中央アジア、東アジア、西アジア、東ヨーロッパまで拡大し史上最大の帝国となりました。1260年、チンギス・ハーンの末子トルイの次男・フビライ・ハーンは、大元王朝を建国、都をそれまでのカラコルムから大都(現在の北京)に遷し、帝国の中心を中国に移しました。

モンゴル帝国では、早くから駅伝の制度が整えられ、四方に駅路が通じます。西方のイスラム教徒やキリスト教徒との商業取引が活発になるなど、西アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの交易路は活況を呈するようになります。また海上通商も盛んに行われ、元王朝は多民族国家として繁栄しました。

しかし元王朝後期は、政治が腐敗し、国力が低下。1368年には白蓮(びゃくれん)教徒による農民反乱(紅巾(こうきん)の乱)によって、首都・大都を失い、時の皇帝・順帝トゴン・テムル・ハーンはモンゴル高原に退きました。中国本土に残存した少数のモンゴル族は漢人と融合する道を選びました。

●モンゴル帝国地図

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